ところで、この項の標題である「首」という呼び名は、フランス語のTete「頭」という語を、日本流に「首」と訳し、いつ頃からか彫刻家の間で使われるようになった言葉です。
この「首」が人体から離れた彫刻として、登場してくるのは、ずいぶん古くからで、皆さんも、エジプトやギリシャなどの優れた首の彫刻を思い浮かべられると思いますが、これも19世紀になって、ロダンが有名な「鼻かけの首」を始めとする数々の肖像を創ったことによって、「首」という独立した彫刻性が注目されるようになりました。
(中略)彫刻の仕事が自分の内面性を形象することによって、自分をたしかめてみようとする仕事だということを話しましたが、特に、この「首」という仕事は、自分が持っている人間性の投影を他人の顔の中に探し求め、それを形象化することによって、自分が確かめられるという仕事ではないかと思います。(註)
この言葉は、彫刻家で造形大の教授だった岩野勇三氏の著書「彫塑ー制作と技法の実際」の一文です。
一年生と二年生「首像」の授業が今年もはじまりました。
授業のはじめ、先生方が大学生だった時に制作した首像を持って来てくれました。
現在も具象の作品をつくっている人
現在はそれ以外の表現をしている人
様々ですが、
先生が同年代だった頃の勢いや、力強さ溢れる作品を前に
学生達も感じるものがあったことでしょう。
一年生は今後首像の石膏取り実習
二年生は制作した首像を木や石に移し替えての実材実習に移ります。
Taro
引用文献
註、 岩野勇三 (1982) 「彫塑ー制作と技法の実際」日貿出版社 p.41-14~28